2011年1月7日発生した悲惨な交通事故 2011年1月

			サイド・バイ・サイド・インターナショナルカンボジア事務所長
				 及びCDEP代表  ピーター・Z・リー

12:18 プロジェクトマネージャーから、国道4号線のグラフィス診療所(以下、GHC)から16キロ離れた地点で事故発生の通知を受ける。

12:49 GHCの主任医師から電話で、二名が負傷したが、応急処置によって容態は安定し、プノンペンの国立カルメット病院に搬送準備中であるとの報告 を聞く。SNCTCの医療スタッフ及び救急隊、31師団司令官と兵士達、軍警察、郡警察、地元警察が、救助協力や、交通整理などを申し出た。プロジェクト マネージャーによって、車両にまだ4人が閉じこめられているが、救助できないと報告を受ける。GHCの看護師やSNCTCの救助隊員から、この4人は死亡 していると知らされる。そこで、遺体袋を積んだ遺体搬送車を現場に向かわせるよう指示した。

13:26  現場に向かうため、プノンペンから国道4号線を走行。途中で二名の負傷者を乗せたグラフィス救急車に会う。

14:47 現場到着。直ちに、車両から遺体収容準備を開始。車両は大破していることから、二人が生存したのは、奇跡で ある。車両をロープで木に固定し、岩で車両の側面を固定。手動油圧ポンプを使い、カッターで車両を切断して、後部座席の3人の遺体の収容作業を進める。収 容したのは、幼い女児(後で2歳と判明)、十代の少女(娘)、そして母親。3人ともシートベルトは着用していなかった。男性運転手(父親)はシートベルト をしていた。運転席から遺体を収容するのは、さらに困難だったが、収容完了。遺留品も回収。

16:50 撤収開始。遺族から、遺体を葬式のために準備するために協力を要請されていたので、遺体を国立カルメット病院の遺体安置所に搬送開始。

18:30 同病院の遺体安置所に4人の遺体と共に到着。

19:15 遺体の準備が終了したので、葬式が行われる遺族の家に搬送。

これは、ご遺族のみならず、我々、救急隊にとっても、悲劇的な出来事だった。犠牲者は、我々の近い友人であり、協力者だったからだ。運転手(夫)は、救急 医療事業を熱心に支援してくれていた。日本から送られた緊急車両や救助機材の積まれたコンテナの通関という複雑なお役所業務を切り抜けるために尽力してく れた。実は、運転手の妻の義理の姉妹は日本人で、我々の友人であり、また以前に日本大使館に勤務しており、日本から送られた救急車の輸送協力にも携わった 人である。

この週末だけで、我々の知り合いや救急救助隊の親戚などが関係する大きな交通事故が4件もあった。
全く悲しく、悲劇としか言いようがないが、私はこれらの事故によって、このカンボジアにおいて、着実かつ組織的に、救急医療及び緊急災害管理システムを完成させるという決意をさらに堅くした。「他が生きるために」という米空軍救難隊のスローガンを思い出した。
我々は、「他が生きるために」働く。しかし、今回は良き友人であり、協力者であった人を失ってしまった。ご遺族の悲しみは、計り知れないことだろう。

(CDEPブログでの写真レポートはこちら